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Bright Memories

かすかな記憶、つたない言葉

私が彼に出会うまで

エピソード ジャニーズ全般 NEWS
今回は私が担当に出会うまでの経緯を書こう。これからこのブログでNEWSのこと(特に担当のシゲ)について語ることがあると思うが、まずはこれを書かなければ何も始まらない気がした。なお、参戦歴はしれっとあげているので、そちらをご覧ください。


幼い頃のかすかな記憶だが、初めてジャニーズの音楽を聴いたのは保育園に通っている時だった。と言ってもCDを買ったというわけでもなく、テレビで流れていたのをたまたま見たという程度だ。KinKi Kidsの『硝子の少年』を聴いた記憶がある。そして『フラワー』も。『フラワー』に至っては、当時、家にあったピアノやエレクトーンで弾いていた。サビの部分が黒鍵だけで演奏できるため、簡単だったのだろう。

時は過ぎ、小学校高学年。家でよくバレーボールの試合をテレビで観ていた。ジャニーズが歌って躍っているなぁとは思っていたが、特に誰がカッコいいとか思うことはなく、それ以前に名前も全員知らなかった。
当時プロフィールが流行っていた。携帯のアレではなく、可愛いくデザインされた紙(カード?)に名前や住所、電話番号などの一般的な個人情報をはじめ、好きな人や告白したことがあるかなど、かなりこの年代にとって気になる情報まで書いてしまうという物が存在した。(今もあるかもしれない)

クラスメイトにそのプロフィールを書いてもらった時に、好きな人の欄に「山P」と書いてあったのだ。「誰?」と思ったので教えてもらった。「バレーボールのオープニングで歌ってる人たちはNEWSで、そのセンターが山Pこと山下智久くんだよ」と。その後、家でバレーボールを観て「この人が山Pって人かぁ」と納得。おそらく初めて顔と名前をしっかり覚えたのは山Pかと。
この時何度もNEWSを見ていたはずだが、全く興味はわかなかった。(おそらくまともに見ていなかった)

中学生になり、周りにジャニーズ好きな女子が急増した。なぜなら、ドラマ「ごくせん」や「野ブタ。をプロデュース」が放送されていたからだ。このドラマの影響で、周りの女子の話題は「隼人と竜」「修二と彰」が多かった。当時はそんなドラマが放送されていたことすら知らなかった私は、誰のことかさっぱりわからなかった。そもそもKAT-TUNを知らず、赤西仁亀梨和也も知らなかった。2人の名前が混ざって「赤梨」と言ってしまうほど興味がなかった。
お昼の放送で『青春アミーゴ』が流れて聴いたこともあったし、所属していた吹奏楽部で『青春アミーゴ』を実際に自分で演奏したこともあるが(といってもドラム)、この時も全くジャニーズには何も感じなかった。

ドラマを全然観ていなかった中学時代だが、家族とドラマを観ていた期間があった。その時にたまたま観たのが「パパとムスメの7日間」である。そう、ここでやっとシゲが出てくるのである。(ここまで長かった) だがしかし、喜ぶのはまだ早い。健太先輩のことをカッコいいと思っていたし、「こんな先輩が高校にいるのかなぁ」と想像して高校生活に期待したが、あくまで健太先輩に惚れていた私は演じている人には興味がなかった。どこかの若手俳優さんなんだと勝手に思っていたのである。できるものならこの時の自分に「もっと調べてみて!」と教えてあげたい。

ここまでが、私がシゲ(厳密に言うと健太先輩)に出会うまでのお話である。この時はジャニヲタでもなければジャニヲタ用語も知らなかったので、「私が担当に出会うまで」ではなく「私が彼に出会うまで」というタイトルにした。

近々、続きの「私が再び彼に出会うまで(仮)」をUPしたい。